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執筆者の写真2020 セクマイ大会

50%達成特別記事 大会の歴史を振り返る 大会の歴史と私 らぎ

目標金額50%到達記念!というわけで、大会の歴史を振り返る記事を投稿したいと思います!

今回は大会を始めるきっかけを作ってくれた、らぎさんによる、大会の歴史と私という記事です!


私は、2006年頃から精神科でソーシャルワーカーとして働いていました。同時にLGBTQや女性のためのセンターQWRCを運営していました。

多様な人々が医療や福祉を利用しています。けれど、医療や福祉の分野でLGBTの話題が出ることは殆どありませんでした。

人々の意識や制度からLGBTQは弾かれていると私は感じていました。一方で、何かLGBTQを意識しないことに違和感を持っている医療者、支援者はいました。 当事者と医療者、支援者が出会うことで、双方のディスコミュニケーションが少しは解消するのではないかと、助成金をとり2009年にQWRC で「LGBTと医療福祉」という冊子をつくり、LGBT が困っていることを医療者や支援者に伝えようとしました。

同じ助成金から2012年3月にユーザ向けにLGBT便利帳を作りました。

その後、3回目、同じ助成金を現在の大会と似た形で申請、応募しましたが、落ちました。

単発のイベントの要素が強くネットワークにつながらないと判断をされたからです。

この時は後悔しましたが、同年2013年10月12日、13日で第一回目のセクシュアルマイノリティ 医療・福祉・教育を考える全国大会を助成の申請時と少しかたちをかえて実施しました。

成功でした。

大会に賛同する人々と企画を練って、ミーティングを重ねました。楽しかったですよ。

実用的なネットワークにするため、自分が普段仕事をしている地域の援助職の人々が参加する会議で大会チラシを配らせてもらいました。私にとっては、かなりの緊張でした。

これまで、自分のセクシュアリティのことで嫌がらせを受けたこともありましたし、私のセクシュアリティが知れたことで、仕事関係者があくる日から私と担当していたケースを全部おりたこともあったからです。利用者に不利益になるのではないかという葛藤もありました。しかし、このままでよいはずがない、そう思い、できる時にできることをしようと思いました。

大会1回目当日、当事者と医療・福祉・教育の従事者が集いました。普段の仕事仲間たちも参加し、つながれた感覚でした。同じ精神保健福祉士の人が実行委員会をしてくれたことも、私にとっては大きいことでした。さらに大阪の医療ソーシャルワーカーの団体にも登壇していただき、今まで切り離されていたLGBTQの活動と仕事が繋がりました。それは、今後、ようやく、自分の中で、仕事-日常-LGBTQがつながっていく感覚、ひとりの人として人格が統一され、自分として生きれる兆しでした。大会を開催することでネットワークがひろがり、当事者に還元されるようにしたいとの思いです。 情報保障の大切さもこの時知り、自分の過去の行いを反省しました。

1回目は、まだまだずさん、今もですが。

私が自分が自分であることに気づけたのは、自分が日本語話者で特に耳で聞いて理解することに長けていたからだと思いました。世の中は見て読めて、耳できいて理解する人が有利なようにできていました。それはマジョリティの理屈でした。マジョリティが得をする社会ではなく、ひとりひとりが尊重される社会にしていくちからをつけたい。

2014年10月11日、12日 大会は第二回。私臨月。出産して休業となりました。

長くなったので、以降の私と大会の歴史は、また機会があれば!

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