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分科会

1/11(土)13:30~15:00【分科会B】

セクマイ大会 グレースアンドフランキー.png

【B-3】中会議室2

主催: 日本女性学研究会

   「シニアのためのSOGIトークサロン」分科会スターティングメンバー  
出演者:桂容子、まめたん、泪谷のぞみ

違和・沈黙・模索のライフヒストリー    

分科会報告

 中会議室2(40名定員)がいっぱいになり、若い人の参加も多く、私たちの予想を超える会場風景でした。各自20分ほどの発表で言葉足らずの感が残りつつも、参加者のあたたかい反応に励まされた時間でありました。以下、発表者順に簡単な要約です。

 私が生まれた1950年は、まだ人々は「男女平等」に慣れていない時代で、その後、経済成長と相まって「新しい女性像」が打ち出されていくが、それによって女性の「特性」が強調され、広く浸透していく「性別役割分業」ライフスタイルの下支えとなった。恋愛結婚イデオロギーにもつながり、一人っ子の私には結婚して子どもを産むという使命が課され、それをクリアした後、ずっと抱いてきた違和感と向き合う時代に入った。70年代にフェミニズムに出会い、その後、レズビアン・フェミニズムに出会い、脱「主婦」・脱「異性愛生活」を敢行した。以後現在に至るまで、既存のフェミニズムやSOGIにまつわる言説に自分を委ねることができず、自問・模索を続けている。(Katsura)

 

 出生から与えられた「性」別は「女」というカテゴリーであり、他者からの視線は、その「女」カテゴリーと「わたし」という存在との違和感だった。わたしにとっての「違和」は、身体の変化とそれに伴う自分自身への視線であり、嫌悪や諦め、「女」カテゴリーが故の社会的理不尽・差別への怒り、不満、抗い、「なんで?」という感覚。そこへ「愛」という名の「不可思議」がつきまとい、アイデンティティ(自己同一性)の模索、もやもや、沈みゆく自我、暗黒の中で、一筋の光明-それがフェミニズムとの出会い。「フェミだから女」というアイデンティティの獲得、安らぎ、喜び、シスターフッド。レズビアニズム~「X」という「知」を得て、「性」自認とは何? わからない。再びの模索。そして「人間」という自認への問い。新たな模索の始まり。(まめたん)

 

 私は、30代半ば、女性をパートナーとして人生を生きなおした。その後挫折(笑)。30年後の今も女性を好ましく頼もしく思うことは変わらないものの、ずっと、わからないままにきたことがある。それは、私の性的指向って何?、ということだ。女性を好きになり女性と関係を持つ/持った私は、「レズビアン」ということになるの? けれども、「性的指向」って、選べるものなの? それとも、30過ぎまで私の中で、眠っていただけ? 無意識に抑え込んでいたの? 「性的指向」という言葉は、私にはすごく、落ち着きのよくない言葉だ。おそらく、男性を基準に作られ、女性に無理やりあてはめてるだけのことなのではないのかしら。ということは、女性にとっての、「それ」は、未開拓の研究沃野ではないのだろうか。
もちろん、「LGBT」や「SOGI」などの名称が不要などではさらさらない。むしろ、忌まわしいこの社会、それと闘う尊い人たちが集う旗には、絶対この名は必要だ。
けれど、たった一人の違和感、も、取りこぼさない、取りこぼさせない、ために、この分科会を持ちたかったし、そのことで、この大会の懐の深さを示せたのではないかしらん。
「性的指向」って、特に、「女性にとって」性的指向とは何なの?これからこの問いと遊ぼうと思っている。(ナミダタニ)

 

 参加者の感想から気づかされることが多く、3人3様の発表でしたが、継続する模索・揺らぎが共通のキーワードであったことに改めて思い至りました。反省点は、スライドの位置が窓側に偏り、見えにくい席があったことでした。申し訳なかったと反省しています。
模索が続くことがこんなにも肯定的に受け取られることを知り、思い切って発信側に立ったことの意義深さを感じています。
今回、この機会を与えていただいたことを、深く感謝しています。

セクマイ大会 グレースアンドフランキー.png

【B-3】中会議室2

主催: 日本女性学研究会

   「シニアのためのSOGIトークサロン」分科会スターティングメンバー  
出演者:桂容子、まめたん、泪谷のぞみ

違和・沈黙・模索のライフヒストリー    

メンバー60代3人の来し方を、ジェンダー/セクシュアリティをめぐって変化してきた社会的な出来事とからませながらお話したいと思います。1960年代後半から70年代の問題意識は、「女には男とは違う役割がある」と言われ、「女と男は何が違うのか?」を問うところから始まりました。第二波フェミニズムは、「ジェンダー」という概念を獲得し、「生得的な女性の特性」といった思い込みを排除し、男性に従属する女性像から脱して女性たちの連帯(シスターフッド)を目指そうとする運動でした。キャリアを追求するといった社会的な地位の問題だけでなく、男性との個人的な親密さにも社会の階層関係が持ち込まれていることを喝破し、「個人的なことは政治的なこと」というスローガンを共有したのでした。まさに、メンバーは、「皆婚社会」と呼ばれた高度経済成長期の流れの中で選択の余地なく婚姻や出産を経験し、セクシュアリティにおいても葛藤をかかえてきました。


それぞれが家族事情をかかえ仕事の事情をかかえ、今あらためて「自分らしく」生きられたのかと問うと、簡単に首肯できないもやもや感を抱いています。そこには今に通じる様々な未解決の課題がたくさんあります。フェミニズムのいう「女性」とは誰のことか? LGBTQはマイノリティか? 等々。 

 

 主催者からのメッセージ:
ルサンチマン・フェミニズムと言われた私たちの時代の思想は、今も世代を超えて、多くの人たちとつながる課題をたくさん含んでいます。嘗ては、「女」たちは孤独でしたが今は、思いを共有する場所ができています。「普通」の「女」の人生の、違和感・沈黙・模索の記憶、これからの展望を共有していただけたら幸いです。参加者のみなさんとも気軽なトークを展開できたらうれしく思います。

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