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【登壇者紹介】
マッチー:大学院生、心理学専攻。”トランスジェンダーを生きる体験”について研究を行っている。
日野映:病院や大学を中心に臨床心理士、公認心理師として働いている。

​【開催形式】録画配信+LIVEでQ&A

 これまで、実践的な心理支援の知である臨床心理学ではトランスジェンダーをめぐってどのような研究がなされてきたのでしょうか。そして今後どこに向かうのでしょうか。
 臨床心理学領域におけるトランスジェンダー研究は、個人へ病理化された「性同一性障害」研究から始まり、近年トランスジェンダーの人々が実際に生きる体験世界に接近する研究へと推移しています。この分科会を通してその歴史を詳しくひも解くことで、臨床心理学領域を超えて、その地続きにある社会がトランスジェンダーをめぐるこころをどう眼差してきたのかが見えてくるでしょう。
 また、現代の研究の一例として、当事者かつ研究者という立場を開示した調査を通じて明らかになったトランスジェンダーを生きるという体験の実感についてお話したいと考えています。シスジェンダーの人々にある種「成りすます」ように息をひそめて生きざるを得なかったり、他者にセクシュアリティが「バレ」てしまうことに対する不安を抱いたりする体験についてお伝えした上で、そうしたあり方から解き放たれ、他者とつながりながら自らの生を展開させていくために必要なことについて議論します。
 そして、今後の研究の方向性として、トランスジェンダーの周囲の人々(保護者やパートナー、友人など)の体験世界を明らかにしていくことの意義や、支援者として関わる上で大切なことについて、まずは登壇者間の対話から検討していきます。トランスジェンダーを生きる当人に研究の焦点は当てられがちですが、トランスジェンダーのご家族や、パートナー、ご友人もまた、関係性の中でさまざまな葛藤や戸惑いを覚えられる場面も少なくないのではないでしょうか。LIVEでの質疑応答を通じて、参加者のみなさまとの双方向的なやり取りから、これからの臨床心理学研究ならびに心理的実践のあり方をめぐる議論を展開できればと思っています。

メッセージ
 本分科会では、こころを支援する実践的な知である臨床心理学が、これまでどのように「トランスジェンダー」とうテーマを研究してきたのかを辿り、そして今後どのような研究が行われていくのかの展望を描いていきたいと思います。そして、こころを支援する実践知がどのように当事者のこころのリアリティに接近し、共に協力しながらより良い社会を作っていけるか、皆さんと共に考えていきたいと思っております。

​報告文

専門職や、トランスジェンダーの方が周りにいる方を中心に、80名以上の方にご参加いただいた。

日野さんより、心理学研究のこれまでについて、社会の変化と共に研究対象や方法が変化してきた過程をいくつかのフェーズに分けながらご発表いただいた。当事者と専門家による共同研究や、当事者兼専門家の自己エスノグラフィーといった研究へ移りゆく中で、現在実際にどのような研究が行われているのか、マッチーさんからはご自身が行っている質的研究についてお話頂いた。

パネルセッションでは、特に、色んな立場の人がカミングアウトされた時の「受け止め」について深く考えることができた。ライブでも多数のご質問やコメントをいただき、多様な意見に触れる事ができ、これからのトランスジェンダーをめぐる心理学研究を考える上で有意義な分科会となった。(司会:ひろみ)

 

この度は「トランスジェンダーの臨床心理学研究のこれまでとこれから」にご参加いただき、誠にありがとうございます。

会の中ではマッチ―さん、ひろみさん、そして参加者の方々のご意見に触れ、大変学びの多い時間となりました。セクシュアルマイノリティというテーマではありましたが、異なる立場の他者と関わる上で必ず生じる傷つきや困難、そのような普遍的なテーマに辿り着いたように思います。重要なことは、無知に開かれ、異なる立場から学ぶことなのだと改めて気づかされました。私自身駆け出しの研究家なので、今後とも当事者の声に絶えず耳を傾け、少しでも当事者のメンタルヘルスに寄与できるよう研究活動を進めていきたいと思います。

また何かの機会に皆さまと同じ時間を共有できることを楽しみにしております。(日野映)

 

このたびは、こちらの分科会にご参加くださり、ありがとうございました。

分科会では、単純に他者から「受容」されてしまうことや、「わかる」と言われてしまうことに潜む陥穽について特に考えさせられました。これは、私が取り組んできた「質感」の記述にとっても、非常に重要であるように感じられました。博士論文を執筆し終えたあとも、私の中には今も、協力者(加えて自分自身)の体験に対してわかりきらない感じが残り続けていて、不誠実なことをしているのでは、と感じてしまうことがあります。ですが、もし「わかる」と言い切ってしまうと、それ以上の了解からはむしろ遠ざかってしまうのではないか、と「わからない」ことの積極的な側面を見出すことができたように感じます。

 改めまして、本分科会へのご参加に深く感謝申し上げます。(マッチー)

 

参加者アンケート一部抜粋

●研究の歴史的変遷や質的調査などはば広い分野の研究が聞けて興味深かったです。今後の課題や展望についても聞くことが出来視野が広がりました。

●トランスジェンダーに関する心理学的研究の流れが分かり、勉強になりました。マッチ―さんの研究事例のお話も大変興味深かったです。自分でもセクシュアルマイノリティの心理的側面に関してもう少し深く考えてみたいと思いました。問題や悩みに寄り添うにはどうしたらよいのだろうかと考えさせられました。

●心理職として、安易な受容・共感は、悩みを持っておられる方の救いにならないこともある。どう対応していくか、考えさせられました。

カミングアウトについて、当事者はゴールととらえ、広義の当事者ではスタートになる。etc・・立場、関係性によって、捉え方、「受け止め」が異なることを改めて感じました。

●タイトルの期待値を超えた面白い内容でした。日野さんの受容と傾聴の話にドキッとしたり、また自分自身のマイノリティでの経験と重なったりして、すごく考えさせられました。マッチーさんの表現が詩的で美しく新たな見方や伝え方の可能性を感じました。お二人のフラットなものの考え方にとても好感が持てます。

●興味深くお話を聞かせていただきました。

「それでいいのよ、ありのままのあなたでOK」と言うことは受容ではなく、無責任な同意であると感じました。当事者の性的なスタンスだけでなく、それにまつわる思い(良いことだけではなく、葛藤や悩みも含めて)もしっかりと傾聴した上での受容でなければ、それは受容とは言えないと思います。

また、今回のお話を聞きながら、自分の中にもポジションの偏りや思い込みがあることに気づきました。自分にとっての当たり前が、他者の当たり前であるとは限らない、という意識を失ってしまうと、それだけで相手を傷つけることもあるのではないかと思いました。

●近接の学問領域の研究者です。当事者の体験を言語化・可視化する作業は大変重要と考えていますが、当事者と呼ばれる人々は、「脆弱な」立場にあるとされ、非常に倫理的ハードルが高く、研究遂行が年々難しい状況になっていると思います。毎日頭を悩ませています。

●広義の当事者という視点について、気付かされました。これはきっと性的マイノリティだけではなく、目に見えない病気や障害、民族、人種など、あらゆる場面で想定されるのだと思いました。

●LGBTの当事者の方、そうでなくても、その人からにじみ出るその人らしさを受け止められあえることが大切。当事者でない人も自らの性アイディンティティを深く自覚していないのではというお話はそうだなぁと思いました。理解のための一歩が広がった気がします!

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