【登壇者】
朝日新聞大阪社会部記者 花房吾早子(はなふさあさこ)
【開催形式】録画配信+LIVEでQ&A
LGBTQ+に関する報道は近年増えています。テーマやその取り上げ方が様々あるなか、一つひとつの言葉遣いも記事によって色々です。初めてLGBTQ+について読む人にとって、理解が追いつかない専門用語はないか。
LGBTQ+当事者にとって、自分がきちんと表されていると納得できる表現か。活動をしている人に不利益となるような言い回しはないか。研究者から見て、学術的な意味とかけ離れた意図になっていないか。差別や偏見を助長する言い方ではないか。年齢、性別、職業、関心度合いなどが多岐にわたる人たちに向けて発信される記事は、同時に、すべての人を満足させるのが難しい記事でもあります。取材・執筆の過程でこうした悩みと向き合う現役の記者が、1990年代~2010年代にLGBTQ+について書かれた記事を例に、報道での言葉遣いの変化とよりよりあり方について考えます。
【講師メッセージ】
2013年から関西を中心にLGBTQ+をめぐる社会の課題やコミュニティーの今を取材しています。どんなに経験を重ねても、記事の掲載日はお腹が痛くなります。掲載後、予期せぬ反応も寄せられるからです。新聞は何百万という幅広い読者を想定し、短くわかりやすくニュースを提供しています。どんな言葉遣いが適切か、取材相手と読者の間にたち、葛藤してきました。間違いも数えきれません。皆さんと一緒に試行錯誤できたらうれしいです。
報告文
朝日新聞大阪本社 社会部記者 花房吾早子
近年、LGBTQ+に関する報道が急増している。私は2013年から関西を中心に取材をしてきた。13年9月、自治体として初めて「LGBT支援宣言」をした大阪市淀川区の取材が本格的なスタートだった。その後、LGBTQ+をめぐる国内外の歴史や情勢を学びながら、書いてきた。取材先とデスク(記者の原稿を監修する上司)の間に挟まれ、妥協点となる言葉を考えることは日常茶飯事だ。読者には、同性愛嫌悪を抱く人もいれば、一生をかけてジェンダーやセクシュアリティーを研究している人もいる。全ての人が納得する記事を書くことは、不可能に近い。
朝日新聞の読者は全国に何百万人といる。デジタル版には無料のページも多数あり、実際に触れる人の数は計り知れない。様々な立場にある人たちの心を動かすには、どんな言葉を使うべきか。こうした葛藤をもとに、おそらく読者や取材先であろう参加者の皆さんと新聞の表現について考えたいと、今回の分科会を企画した。
分科会で何を題材としたらよいか、考えた結果、過去から学びたいと思うに至った。確かに近年報道は増えているが、過去に全くなかったわけではない。世代によっては歴史の一つとなっている出来事が、当時の報道やその後の変化を知ることで、現在や未来の報道も変わっていく、自分たちの力で変えられるという希望を感じられるのでは、と考えた。私も実際、弊紙のデータベースを使って調べながら、言葉の変化のみならず、社会環境の変化や書き手の認識の変化を感じた。LGBTQ+の中でも同性愛をめぐる報道が中心の時代から、性別適合手術の認可や性同一性障害者特例法の制定についてのニュースを通してトランスジェンダーの人々を伝える報道へと、90年代後半から2000年代初頭の変化は著しかった。一方、次々と生まれる新しい言葉を新聞紙上でいかに使うかは、書き手にとって判断の難しさがうかがえた。マスを対象としたメディアである以上、より多くの人が理解できるか、社会で普及しているか、平易な表現に置き換えられないか、説明に行数を割いてでも伝えたい言葉かなど、様々な視点から判断を迫られる。正解はなく、記者が取材先や読者と一緒に考え、時代や情勢と共に変わるということを、最も伝えたかった。
質問では、新聞社の中の記事製作過程、「ノンバイナリー」「SOGI」といった比較的新しい言葉の新聞での使用などを尋ねられた。新聞が読まれない今、新聞に関心を持ち、可能性を感じてくれる人たちに感謝したい。一方、終了後の感想では「過去を振り返って誤用を謝っても意味がない」「言葉使いより取材源の狭さをどうにかしてほしい」というご批判もいただいた。おっしゃる通りで返す言葉もない。ただ、90分の分科会では取り上げるテーマに限界があることもご理解いただきたい。記者VS取材相手、書き手VS読者という対立構図ではなく、共に言論を作っているという気持ちを醸成し、より良い社会を目指し動く仲間となっていきたいと願う。
参加者アンケートより
・社会的な認知と言葉の使い方が分かりました。
・報道の変遷と人権問題について考えるとても良い分科会でした。記者の皆さんのより深く知ろう伝えよう正しく…の気持ちがありがたかったです
・とても面白かったです!ことばは哲学やポリシーそのものを表しているよなあ、とうなずきながら拝聴しました。
・府中青年の家事件、埼玉医大での初の手術など、懐かしい話題が多く、昔のことを思い出していました。
言葉は生き物とおっしゃった、花房さんのお言葉がとても印象的でした。
・教育現場で言葉を使うとき、新聞ではどう表現してあるのかを参考にすることも多いです。それだけではなく、そこにいる人たちにどう伝えたらわかりやすいかを考えて、生きた言葉を使うことを大事にしたいと改めて思いました。ありがとうございました。
・2つ目の質問をさせて頂きました、心理職を目指して勉強中の大学院生です。質問にお答えいただき、ありがとうございました。取材を受けてくれた方の使用した言葉をそのまま使うことで、その方のありのままを伝えたいという思いがある一方で、それを説明するだけの枠があるのかという現実的な部分での葛藤があるということが分かりました。そこが、世の中に広く公開されている新聞ならではの難しさであるように感じました。
今まで全く知らなかった、新聞記事の作成過程や記者の方の言葉に対する思いを聞くことができ、大変勉強になりました。新聞記事の大きさや掲載面について知ったことで、もっと新聞を読んでみようと思うことができました。
貴重なお話をありがとうございました。
・取材を受けた本人が納得し、その本人の意図が読者に伝わること。それを限られた紙面で実現させる。花房氏のプロフェッショナルとしての矜持を感じました。
また、記事での言葉の変遷を概観できました。そこから当時の状況を思い出すこともありました。ありがとうございました。
・花房さんのお話は本当に素晴らしかったと思います。報道という業界の中からプロとしていろいろ明確に説明して頂いて大変参考になりました。現在、世界のあっちこっちで報道が圧力掛けられて記者が命をかけて集材している中で、花房さんのお話を聴いて改めて報道の重要性を感じました。それは特に声の小さい、声・立場が一般社会に反映されていない人々に対してとっても大事です。