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聴者LGBTQコミュニティとしてできること

更新日:2023年10月14日

新設Cチーム企画 塩安九十九


はじめに

『ろう×LGBTQサポートブック ver.2』(2018、pp.13-14)から許可を得て、一部抜粋してお届けします。


なぜ少数者も多数者も生き辛い社会なのか

実は、 山本美由美さんに会う前は、ろう者に会うのは嫌だった。私はろう者に偏見 / 思い込みを持っていたからだ。「ろう者は手話がわからない人とは対話したくないだろう」 「面倒をかけることになる」 「手話を知らないのに、 ろう者と対話しようとするのは失礼だろう」 「ろう者はろう者だけで集まっているのが幸せだろう」と思っていて、 ろう者に会ってもどう対応したらいいかわからないから、 会いたくなかった。 しかし実際のところは違った。 ろう者にもいろんな人がいるし、 手話を知らなくても他の方法で簡単な対話をすることは可能だ。 聴者と対話することをいとわないろう者もいる。


先の私のろう者への偏見からすると、 もし私がろう者の立場だったらこのように考えるだろう。 「人を煩わせてはいけない」「多数派に合わせないといけない」 「自分が我慢して頑張らないといけない」 「話したいけど面倒をかけるから遠慮しておこう」 等々。私のこうした考え方は、 日本文化の価値観が影響していると思う。優先すべきことは集団や社会であり、 和を乱してはいけないし、全体の調和を重んじるため、 個人は我慢するのが当たり前という風潮の中で育った。 従って既存の価値観を崩すことが難しい。 また、誰かの手を借りることを 「迷惑」 と悪いこととし、 誰にも頼らず自立しているべき、という通念がある。しかし、自立とは頼れる先をたくさん持つことだと言われている。家族だけしか頼れない人よりも、同僚、 友達、 社会的サービス、近所の人、ネット上の繋がりなど、頼り先が複数ある人の方が、困った時にも助けが得られやすく、安定して自立していると言えるか

らだ。


私がろう者との活動で学んだことは、 1. まず知ること。 知らせること。 存在を知り状況を知らなければ、 そして知らせなければ、始まらない。 2. 個人の在り方を尊重すること。 ろう文化、聴者の文化、 性自認、 性指向などそのままの違いを認めて尊重すること。3. 手を借りることや助けを求めることを恐れないこと。 本来それは「迷惑」と定義するべきではないが、 今の風潮のまま使うなら 「迷惑」をかけあえる社会の方が安心だし居心地が良いはずだ。



LGBTQ コミュニティでできること

手話は日本語とは異なるひとつの「言語」ということを忘れてはならない。 外国語の習得に苦労している人なら、 他言語をマスターするのがどれだけ大変か想像がつくはずだ。 手話を他言語として尊重した上で、 とりあえず 「ありがとう」 「お願いします」 「お疲れ様です」 のこの3つだけでいいので、 LGBTQコミュニティに徹底して広めるのはどうだろうか。 こうすることで、ろう者の参加しやすさが格段に変わると思う。 ろう者のアライとしてできることは、普段の口話の時でも、 それを使って周囲の人に見慣れてもらうことだろう。 知っている全ての手話をずっと聴者の前でも使えと言っているわけではない。 例えば、 よく 「ごめん」 や 「ありがとう」と言う時に、 人は顔の前で手を合わせるジェスチャーをする。 それを手話に変えるだけでいい。


私はしばらくカナダに居たのだが、 カナダのLGBTQコミュニティにろう者が参加しやすいのは、行けば誰かと話せるし、手話ができる人がいなくても、ろう者がいて当たり前の雰囲気があるからだと思う。 そのためには、 まず LGBTQコミュニティ側がそうした場を作ることそしてろう者もそれを定着させるためにそこに足を運ぶこと、 この相互的な取り組みが必要となる。具体的には、 それぞれの立場でできることをまとめた次ページを参照してほしい。 これらが全ての場面で可能なわけではないが、 できる範囲からやっていこう。



ろう者とのコミュニケーション

ろうの状態は生まれつき、 中途、 難聴も含めて様々で、 対話手段も様々なので本人に確認することが大事だ。 自分が手話がわからない場合、 身振り手振り、 ゆっくり口を大きく動かして大き目の声で話す (聞き取ったり口を読んでもらうため)、 空書き(文字を空中に書く) 筆談やケータイの音声入力アプリを使うなど、 複数の手段でろう者との意思疎通は可能だ。


実際にろう者と友達になってみると、そのコミュニケーション能力に度肝を抜かれる。もちろん個人差はあるが、これまで私が日本やカナダで出会ったろう者との経験を振り返ると、唇を読む技術や、話題から言葉や内容を瞬時に察する能力などは想像を超える。 手話ができない聴者がろう者と対話する際、 どちらがどれだけ努力を強いられるかというと、 90% はろう者が労力を負う。聴者には口を大きく開けたり、大きく声を出せば、ろう者に通じるという思い込みがある。 口を見るだけで言葉を読み取ったり、 相手の言おうとしていることを先読みすることは、 本当に難しく大変な労力なのだ。 それを聴者が「ろう者を助けてあげている」 と思っているなら、 根本的に間違っている。聴者は、ほとんどろう者の能力のおかげでろう者とコミュニケーションできていることを忘れてはならない。 にもかかわらず、聴者は当たり前のようにその負担をろう者に負わせ、 「ありがとう」という手話ひとつを覚えるのさえ面倒に感じてしまうのはなぜだろうか。 それは、ろう者についての知識がなく、 関わる機会もないからだ。 なぜ機会がないかというと、 公の場が色々な立場の人に開かれてないからだ。



付き合い方と工夫

実際、ろう者と関わるようになってから、 その表現方法や感じ方が聴者の日本育ちの人とは違い、 独自のろう文化を持っているのを知り、 ちょっと外国人と接しているみたいで面白い! と思った。 何より手話表現の奥深さは、 平べったい二次元の文字表象という 「言語」 のイメージを、 触知的で物理的にも心理的にも三次元的なものにガラリと変えた。 目から鱗が落ちるとはこのことだ。


ろう者がルームメイトだったことがある。 その人が料理をする際、 キッチンの戸棚を開け閉めする音が大きくてびっくりすることがよくあった。 戸と棚が接触する部分に食器洗いのスポンジを切ったものを貼り付けることで解決した。 聞こえないことが原因の行動について非難したり、 注意しても自分が持ち合わせていない感覚について気を付けることは難しい。 本人にも 「戸はゆっくり閉めてほしい」 と伝えることも重要だが、 周囲のエ夫次第だと思う。 また、ろう者と聴者がそのことについて話題にしやすい雰囲気を作ることも大事だ。


ろう者と一緒に書類の手続きをしたり、イベントに参加したことがあった。 その時感じたのは、 本当に通訳者次第でろう者のその場を楽しむ可能性が広がったり狭まったりするということだ。 聴者に比べると、ろう者は入ってくる情報が限られていることを常に意識して、こちらが音声情報から得ていて当たり前だと思っていること (サイレンや花火の音、音がない場合など)も、一緒にその場を楽しむために必要に応じて知らせよう。 人によってはお節介だと思われるかもしれないので、どの程度情報提供するのが好ましいか本人に確認するのもいいだろう。 その上で自分ができる範囲のことをしたらいい。



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